神時間とサタン時間

気持ちの良い時間を神時間

気持ちの良くない時間をサタン時間として

 

焦り、無価値観、心地悪さ、イライラ感、

そんな負の感情が湧く時がサタン時間。

 

そんな状態の時は

安心感、平和感、幸福感という感情が湧く神時間を求める。

 

でも最近はサタン時間はサタン時間そのままで良いのだ、という事が腑に落ちてきたようで、

 

「早く神時間にしたい」

「何とかサタン時間を抜け出したい」

 

という感情が起きたら、

それもまたそのままで良い、という認識が起こりやすい。

 

するとサタン時間は氷解し、サタン時間がもともと神で構成されていて、神時間の仮装的な側面でしかなかった事が感覚される。

 

「サタン」という字を虫眼鏡で拡大したら「神」という小さな字で構成されていた、みたいな。

 

 

 

最近、以前より幸せで人生をより幸福に過ごせるようになって嬉しいかぎりです。

 

このように書くと何か良い事が日常に増えたように聞こえるかもしれませんが、良い事が増えたというより、嫌な事として捉えていた物事に対してOKが出せる事が増えた、という方がより正確な感じがします。

これは結果として良い事が増えたともいえるのですが…

 

大人の感情、子供の感情、又は汚い感情、清い感情、感情にそんな分類はないのに思考はついついこれは良い感情、これは悪い感情と区別したがるので心が苦しくなるのだと思います。

 

人を妬む事も、人を羨む事も、人の評価を気にする事も、それでそのままで健全なのだと思います。

 

今度もまた妬んでしまった、羨んでしまった、評価を気にしてしまった、と反省してしまう事もそれでそのまま健全なのだと思います。

 

その健全さを認める方向性が結果として妬む事や羨む事や評価を気にする事が少なくなっていく方向性だと思います。

 

だから人生には反省だけが必要無い事であったのだ、とついつい反省してしまいます。

 

変えるべき事も、変わらなくてはならない事もなく、そのままで良かったのだ、ありのままで良かったのだ、と反省してしまうのです。

 

もちろんこの「反省」も虫眼鏡で見れば「神」で構成されていて。