長期スパンも良いのでは?
何となくモヤモヤ気分がすぐれなかったり、嫌な気分だったり、
現在の状況を肯定的に見られないような時があります。
”現在の状況が辛い”と。
割とそんな時は短期的なスパンで判断している事が多い。
人生は”今”の連続。
だからどうやって”今”を
スッキリさせるか、穏やかにさせるか、ワクワクさせるか。
長期的なスパンで眺めるのも良いかも。
一時期書いていたブログ(三年前位?)を観ていたら
我ながら良い文章があったので引用してみます。
職場の同僚に2人の子供を持つ母親がいる。
子供2人は血気盛んな男子高校生で母親としては心配な事ばかり。旦那は単身赴任。彼女は毎日クタクタで、慢性的な寝不足。職場の受付でもしょっちゅうコックリコックリしていて「もー楽になりたい!子供達が高校卒業すれば解放される!!」が口癖のようになっている。それでも元気で活発な彼女は忙しい日々に何とか隙を見つけて、友達とのランチを楽しんだり日帰り旅行に出掛けたり、たまの遊びを満喫する。彼女が言うには、子育てから解放された暁には友達とゆっくり遊びに行ったり、以前から行きたかった外国に旅行したりと、とにかく輝かしい日々を過ごす予定だという。その為に今の慌ただしい日々を頑張っているそうだ。それはそれで良いと思う。それで苦しい今を頑張れるのだから。でも、こんな想像をしてみてはどうだろう?彼女に相当なお婆さんになった自分を想像して貰うのだ。もう殆ど人生の終焉を迎え、縁側でお茶をすする日課が唯一の楽しみである様な状態を。(だいぶ古めなお婆さん像ではあるけど)そのお婆さんになった彼女が昔を懐かしむのだ。人生なんて本当にあっと言う間だったと。その想い出の中に、ある時期忙しく駆け回っていた日々が蘇る。当時高校生だった2人の子供が何時も心配で、慢性寝不足で、クタクタで、それでも生活費を稼ぐためにパートに出掛け、何とか隙を見つけては決して裕福とは言えない日帰り旅行やランチを楽しむ若き日の自分。すっかり年老いて体の動きも緩慢になった彼女はどう想うのだろう。時間に余裕が無くて、いつもクタクタで、いつだって一生懸命で心配が絶えなくて…しかし、なんと輝かしく、イキイキして、愛おしく、そしてなんとも言えない切なさがあって…そんな思いで若き日の自分を慈しむのではないだろうか?何とかけがえのない人生最良の日々であった事かとしみじみと振り返るのではないだろうか?例え1億積まれようが2億積まれようが絶対に譲れない彼女にしかない宝物の様な想い出として。そして彼女はそんな宝物の様なかけがえのない毎日を生きている真っ最中なのだ。実際に忙しく日々を過ごす彼女にとって、年老いた自分を想像して今の慰めにするなんて大した助けにならないかも知れない。しかし、ふとしたそんな想像が一時でも彼女の思考を静かにする助けとなり、眼の前の風景をいつもより少しだけ鮮やかにみせたり、物事の中立性に少しだけ気付けたり、忙しさそのものを楽しめる様な、そんな胸がほっこりする様なちょっとした助けになる可能性はないだろうか?
そしてどうせなら、もう少し臭く、甘ったるい想像をもう一つだけ付け加えてみてもいいかも知れない。老人はやはりかけがえのない想い出を幾ら積まれようが売らなかったのだ。だから、輝かしく、辛く、切ない人生最良の日々を我々は今日も生きていられるのだと…
なかなか好きな文章だ。
んー、
なんか甘ったるい様なメルヘンチックすぎる様な気も…
いや、
「男がメルヘンチックで何が悪いんだ ( `ー´)ノ」
と、自分の頭の中の他人の声に怒ってみる。